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じゅくちょうがえるのじゅくちょう日記 #慶真塾


by RelaxAndGo
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8月6日に思う

誕生日。いろいろな人の誕生日。考えてみれば、あらゆる誕生日は誰かが生まれきて誰かが死んでいった誕生日でもあり命日でもあり。来年で60年目になる8月6日に広島について考えてみた。
まだ私は彼の地を旅していない。原爆ドームも見ていないし広島球場にも行ってないな。いつか行ってみたい。60年という区切りはそういう気にさせるポイントである。数字って実は何の根拠も無いものであるのかもしれないが区切りとかきっかけに利用するには便利な理屈ではないだろうか。
ところで、8月6日は某生徒のご家族の一人の誕生日であったらしい。39歳になってプロ野球選手会という労働組合をひっぱっている古田敦也選手もこの日が誕生日である。単なる偶然だがきっと古田敦也さんもきっと広島の特別な日に生まれたことには何か思い入れを感じているのではないだろうか。いつかそういうことをご本人にインタビューしてみたいものだ。そいつは無理な話なのだが、思ってみたことは書いてもいいのだ。

7月4日に生まれて
という映画にもあるように、人というのは自分の生まれた日付を歴史の中で自分に繋げて意味を見出す存在なのだろう。<どうして歴史を学べばならないのか>という生徒たちの問に有効に答える為にはここらへんのことを考えておく必要がある。
どうしてこんなことを考え出したのか、最近心に引っかかった出来事があったからだ。重慶=チョンチン、ゲルニカ、そして広島、南京・・・。子供たちの言葉の中に確実に空洞が空きつつあって<歴史の不在>が今以上に更に進行したときになにやら怪しきものが入り込んでいかないとも限らない。

私は子供のときに自分の誕生日が3月3日であることから、その一週間後の3月10日の「東京大空襲」という歴史上の日付を覚えた。自分とのつながりで歴史事項を身につけるというのは、歴史を学ぶ初学者にとっては必須の有効な手段なのだ。

私の母方の祖父がなくなった日でもあるわけだ。3月10日。母からじかに大空襲の前後のことを聞くといまでも臨場感をもって思い出すことができる。59年前のことであっても、母からの生身の言葉での伝達というのは肉の伴った生身の身体言語として私に届く。重慶における今回の出来事にもそういう生身の身体的記憶が原因しているに違いない。メディアからの影響を大きく語りすぎることには少し違和感を覚える。民度の問題とかメディアによる問題を無視するわけではないことは言うまでもないのだが。

なんだかとりとめも無いので、一度、ペンを置く。といってもペンをリアルに置くわけではないのだが。なんだかまだ頭の中がこなれてこない。
by RelaxAndGo | 2004-08-09 22:32 | じゅくちょうにっき