じゅくちょうがえるのじゅくちょう日記 #慶真塾


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高麗博物館→華氏911→誰も知らない

昼一時過ぎに新大久保で待ち合わせ。

ワンズキッチン(WANG'S KITCHEN)というところで昼飯を食べて濃い一日がスタート。
ワンズキッチンのオーナーの社長さん。王連清さんをネット上で発見。

ここ


NPO法人 高麗博物館

以前にサンデー毎日で記事を見かけてチェックしていた「パネルと写真で見る、関東大震災 新聞報道と朝鮮人虐殺」を見に行く。ドンキの屋台で東京タワーを買ってなめなめして歩く。高麗博物館の入り口から入る前に無理やりに食べきる。ソフトクリームなめなめしながら展示を見るのは、いかにも今風の壊れた若者みたいな・・・っつうか、どこが若者なんだかわからんが・・・常識の無い人と思われたくなかったので、一応ソフトクリームを食べきってからエレベーターに乗って7階に。

1923年9月1日。罪な地震で火に追われ。そんな覚え方で記憶していた。大正時代で最も記憶に残っている年代暗記。罪(23)の年。2はツーだから<ツ>と読み、3は<みっつ>だから<ミ>と読める。だから23=罪。大正12年は「火に」追われるの「火に」に対応。1は「ひふみ」の「ひ」だから<ひ>と読む。2は当然のようにフツーに<に>と読む。

もう10年位前になるだろうか?母と旅行会社の温泉ツアーに参加したことがあった。鹿児島だったか?奈良京都方面だったか?詳細なことは覚えていないのだが、そのときの夕食時に大広間で隣の部屋の老夫婦の旦那さんとお酒を酌をしつつ少し会話。会話とは言っても、私は人生の大先輩のお爺さんのお話を徹底的に聞く側で、こちらは相槌を打つ以上の言葉は発さない。

大震災の時の記憶をひょんなことからその老人が語りだした。あたかも見たかのように。デマのような内容を。記憶は捏造される。その話のどこからどこまでが捏造でどこからどこまでが真実の一片かはわからない。もちろんそんなん嘘でしょ。見てもいないのに記憶を再合成して捏造しちゃったんでしょ。などとはその老人に言うことはできず。あくまで聞き手に徹していた自分。

「震災後の混乱の中で朝鮮人少女が震災による死体を漁って指輪など貴金属などを指ごと集めてまわっていて、それを見つけた日本人が私の目の前でその朝鮮人の少女をよってたかって撲殺していた」

簡略にすると大体そのような内容のことを老人は語っていた。一言一言なにやら遠い記憶を引き出してきて紡ぐように。何かが吐き出したいんだろう。喋れずにはいれないんだろう。そのように感じた。目の前で撲殺される少女のことをきっと忘れられないんだろう。

よくきく、<井戸に毒>というパタンは出てこなかった。

官民一体の虐殺。官民一体となったものだったにも関わらず。官の中心である警察権力や軍隊によって行われた部分については多くは隠蔽され、自警団にすべてをなすりつけようとした。「民」が勝手にやったことという方向に持って行く為に公権力側が画策した跡を示す文書がいくつか展示されていた。

忘れられぬ関東大震災/朝鮮人大虐殺-神奈川で4000人が犠牲に(金三浩さんの文章)

デマと流言が恐怖と結びついて虐殺に向かう。
マイケルムーアがBFCにおいてアメリカの銃社会のベースにあるのは「恐怖」であるとゆっている。恐怖を煽るメディアの問題。白人たちは支配している黒人奴隷が反乱することを恐れて銃で武装してきた。(黒人が反乱を起こして白人が首をちょん切られるというアニメーションがあった。コミカルに纏められたアメリカ史アニメ。)自らが支配する黒人が反乱をおこして白人支配へ抵抗することへの根源的な恐怖感。その思い込みは黒人男性=犯罪者という図式を反復確認する犯罪報道を通じてメディアによっても反復強化されている。(銃が「自由」を守るという図式。同じ銃社会でも「恐怖」が支配していないカナダとの比較。BFCはカナダ映画であった。)BFC(ボウリングフォーコロンバイン)においてはムーアが時折コミカルなアニメーションなども駆使してアメリカ銃社会をささえるメカニズムを解明している。
(今のニッポンも変わらないな。テロの恐怖を必死に煽る人たち。崩壊寸前?の北朝鮮の脅威を煽る人たち。)

きっと同様なことが1920年代の日本でもあったのではないだろうか。恐怖。支配。差別。流言。蜚語。
1910年に韓国併合、1919年に三一独立運動を弾圧・・・そのような歴史的背景の中でおきるべくしておきた事件だったのだろう。

高麗博物館では書籍を一冊買った。2002年に出版されたもの。→これ

徒歩で新宿の映画街に移動。松竹チケットで1300円のレジャー券を購入してジョイシネマにおいて911鑑賞。BFCだけしか見てないがBFCよりは出来は悪い。でも見るべき映画であることは間違いない。ロジャー&ミーはまだ見てない。ブッシュの悪でアメリカの悪を隠すなみたいなことを言っている人がいるが・・・確かに言いたいことはわからないでもないが・・・その種類のことをいう人たちが「こんなことはオレは知っていた」とか知ったかぶりするのは不愉快だし、お勉強が出来て成績がいいことを自慢するガキみたいな物言いだよな、そういうのって・・・米国であろうが日本であろうが、これだけメディアが硬直している中であの映画はやはりニュース報道を補うという点で価値がある映画だ。

もちろん宮台が言うように、アメリカ人とは違う受け取り方ができるし、そうであるべきだという「べき論」はわかるんだが。結局「べき論」を言ってしまうんでは、宮台自身が批判している<オナニー左翼雑誌>化している論壇誌とそんなかわんないんでは?
(宮台本人がべき論をゆっている自覚があるかどうかはともかく)

ブッシュが負けた方がいいに決まっているじゃないか。もちろんそれだけで何かが解決するわけじゃないが。

昼飯はワンズキッチンでワンさんの店だったが、夕食は「わん」という居酒屋だった。田町の慶應仲通りの裏にある中華料理はワンワン。今でも焼肉定食630円だろうか?

誰も知らない

是枝さんのHPはこちら

タテタカコさんの挿入歌、ゴンチチの音楽も含めて、非常によく出来た作品であった。余白が多くてよいって誰かが冊子に書いていた。私もそこに感心する。余白を読み込むことによって何度も何度もくり返してみたくなる映画。最近では篠原監督の月キャベに同様の感想を抱いた私であった。人はどうして同じ映画を何度も見たいと思うのだろうか。そういうことを考えてみたくなる素材であった。

タテタカコの「宝石」という歌について、映画とマッチングしているという批評と、その反対に映画と調和していないという風にタテタカコの歌に違和感を唱えている批評、どちらもあったが、私は前者と同じ感想を抱いた。あの歌はあの映画に出会うために生まれたとまで言えるかもしれない。是枝さんがこのように書いていた。

 脚本作りが大詰めに差し掛かっていた時のこと。ラスト近く、夜明けの空港での明と紗希のシーンを書いていた時、僕の中でこの曲が静かに鳴り出し、彼らの歩きに寄り添うようにタテさんの声が聞えた。<中略>こんな経験は初めてだった。今まで歌詞付きの曲を、劇中はおろかエンディングでさえ使ったことはなかったのだが、今回は自分の生理に従ってみた。

是枝さんとタテタカコの楽曲は非常に幸福な出会いをしたのだ。そのことはこの映画を繰り返し見ることで確認することが出来ると思う。とにかく何度もくり返して入り込んでみたい世界だ。

私の中のベスト3。何度も何度もくり返して見てみたい映画。
「無能の人」「月とキャベツ」「誰も知らない」

思いつきで書いてみた。他にも何かあったかな?

あったあった。「東京日和」

関連HPいろいろ。
ユネスコ日韓交流事業

共住懇
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by RelaxAndGo | 2004-10-18 23:30 | じゅくちょうにっき